幸せについて本気出して

些細なことでいらいらして、あっさり煙草に頼ってしまいました。
マルボロ
特別うまいわけではないですが、するっと入っていく煙の流れが好きです。
DQNの煙草として名高いマルボロ
たしかにこれしか吸ったことないなんて人はアホですが、よく味わってみればそれほど避けるものでもない。
マイセン吸うよかマシです。
まぁ、マルボロよりうまい煙草なんてそこら辺にごろごろあると思いますが。
・・・
しかし、虚しいなぁ。
禁煙があっさり失敗したことよりも、すぐに気持ちが不安定になってしまうことのほうが情けない。
他人と比較すること自体間違っていることかもしれませんが、みんなはしょっちゅういらいらして何も手につかずどうしようもなくなることってないんだろうか?
ごはん食べるのも面倒、寝るのも不快、人とも話したくない、深夜のつまらないテレビを見ながらコーヒーと煙草だけがやたらと消費される。
目にうつるすべてが希望に見えた、なんて歌う青春パンクにはかけらも共感できない。
社会からのストレスではなく、自分自身の問題だけで僕はあっぷあっぷになる。
みんなはそんなこと感じないのかな。
それとも、こんな風に苦しい心の天秤を無理やり押さえ込んで生きてるんだろうか。
がんばって日々を暮らす人たちを、僕は尊敬する。
普通に生きて、社会の歯車となれる人たちを羨ましいと思う。
無駄に金と時間を浪費する日々。
どうにかならんもんかなあ。
・・・
某国で某日本人が殺されちゃったかも、というニュー速が入りました。
いまいちその行動には共感できないけど、その行動力には感心する。
きっと彼は死にたかったんだろう。
そもそも「自分探しの旅」なんて周りの人に開けっぴろげにいえる人なんだから、社会に適応できない人だったんじゃなかろうか。
そんでわざわざ渦中の某国へ行くという、自殺行為に及んだ。
彼は死んで、「自分」という苦しみから解放されたろう。
しかしその直前には「生きていることの幸せ」も感じたことだろう。
いくら死にたいと思っていても、僕なら死ぬ寸前に絶対「止めときゃよかった」と後悔する。
生きているときは「生きている」ということを全く意識しないけれど、それが出来なくなるときにこそその大切さを実感するんじゃないかな。
もう未来を描くことが出来ない辛さ。
捕まったときにはさぞ、どんだけ苦しかろうと自分探しなんてできた日々を幸せだったんだなぁと感じたことだろう。
彼は、「失ったときにしか幸せだったとわからない」人だったんじゃないかと思う。
僕もそのタイプだけど、彼は僕にはない金と行動力と浅はかな覚悟を持っていた。
結果、僕より早く死んだ。
まあ要するに、彼は生きる幸せを取り返しのつかないところにくるまで理解できなかったお間抜けさんだ。
それが今の僕の結論。
ひょっとしたらこの結論はやはり浅はかなもので、もっと僕が経験と考慮を積めば全然違う結論に達しているかもしれない。
明日コロッと考えが変わって、生きることの無意味さを悟るかもしれない。
わからない。
僕は、いまの僕一人ではないんだ。
僕の頭の中では刻一刻と、次々に新しい考え方が浮かんで、信じるものが変わっていくのだから、今の僕を僕は信用するわけにはいかないんだ。
こういうのは分裂っていうのか?
それとも、やっぱりみんなもこんな風に信じるものが泡のように消えては浮かぶものなのかな?
・・・単に信念がない、へぼい人間だってだけか。
・・・
ついでに。
もちろん親御さんや関係者の皆様には、非常に残念な結果に終わってお悔やみ申し上げます。
お気持ちはお察しします。僕もその立場ならどうしようもなく辛い。
けど正直、社会的見地から見れば、凡人の僕には某日本人は単なるアホで、社会に迷惑をかけた逸般人であり、ぶっちゃけ死ぬのは自然の流れだったように見える。
プロ市民とかいうのの作戦ってんなら話は別だけど。
まぁ打倒小泉の政権の皆さんには、総理をからかうネタが出来たってところか。
って、こんなこといったら怒られるかな?
怒られたら尻尾巻いて逃げよう。

というか、まだ遺体が某日本人さんと確認されたわけではない。
違うといいですね。