昔から時々思ってたことなんだけど、なんか、ものごとのシステムって馬鹿らしい。
今日買い物をするときに千円札を落としてしまったとき、久しぶりにこのことを思い出した。
ひらひらと舞い落ちていく、野口の顔が書かれた紙切れ。
なんで僕たちはこんな紙切れのために必死に悩まなきゃいけないんだろう?
兌換紙幣の信用や契約の話はもちろん理解している。
けど、よくみてみればそれはただの紙。
ただの丸い金属。
こんなつまらないものが何故、僕らが生きていく上で必要なんだろうか。
意味がわからない。
他にも、ことばについても時々理解できなくなる。
例えば、「うざい」ということば。
「うざい」というのは、ひらがなの「う」と「ざ」と「い」をただ連ねただけの音。
ただのひらがなの羅列が何故、相手を罵倒する意味を成してしまうのか。
象徴なんて、無意味な妄想。
ことばに与えられた価値は、どうして成立するのだろうか。
これだって、ことばの持つ価値を定義することがコミュニケーションの手段である上で必須な事象であることは僕も重々承知だ。
でも、僕の中に疑問として湧き上がる。
桜や紅葉を見て美しいと感じるのは何故?
映画や小説などのストーリーを見て人が涙するのは何故?
皮膚に傷を付けたら痛いのは何故?
象徴って何。
カニズムって何。
なんでそんなもんがまかり通るの?
どっからそのシステムは生まれてきたの?
僕だって無知ではないから、その社会的科学的背景についてはなんとなくわかる。
でも、僕が知りたいのはそういうことじゃない。
どうして、すべては存在するの?
人間なんてなくていいじゃないか。
地球だって、火星だって、太陽だって、宇宙だって、なーんもなくていい。
まぁ、別に存在しちゃいけないってわけじゃないから、あってもいいだんけど。
ていうか、すでに存在してしまっているんだからしょうがない。
しかし、人間は存在するだけでなく、考える能力を持っている。
で、僕がいつも思うことは。
なんで生きてるんだろう?
そして
なんで僕には「生きる理由」が必要なんだろう?
たぶん、死ぬためじゃあないでしょう。これは他に解答が見つからなかったときの最終手段。
種族繁栄のため?そんなものは単細胞生物でも出来る。
むしろ脳みそが発達すると、自殺なんてろくでもない発想をしてしまう輩が出てくる。
じゃあなんでだろ?
解答はいまだ得られず。
とりあえずわかっていることは、まだまだガキンチョな僕には生きる理由が必要だということ。
無為に、存在していられるだけで幸せ、なんて境地にはまだまだ立てそうにない。
ていうかさ、人類何千年も存在しているんだから、答えくらい出しておいてほしかったなぁ。
あ、宗教はなしの方向でお願いします。
現実的に神さまとかいないんだし。
アサハラショウコウが神さまだってんなら僕は現世を解脱するよ。
此岸と彼岸の狭間で、僕は人生の意義なんていうくだらないことを考えている。
最終的な解答が「死」でないことを、うつ状態がひどくない今の僕は切に願っております。
・・・
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・・・
青臭さ全開。
しかも、なんか途中から話逸れてるね。整合性もまるで無視だし。
まぁいいや。
読みにくたって意味分からなくたって、たぶん誰も困らない。
僕がいなくたって、世界は回るから。