四方山話

葬式やお墓ってのは、死んだ人を供養するためじゃない。
生きている人が死んだ人を偲ぶためのものだ。
死体を焼いて骨壷に入れるのは仏さんが成仏できるようにではなく、衛生のため。
死体をそこらへんに転がしておかないため。
僕は僕が死んだときに葬式なんかしなくていいと思っているけれど、遺書に記されていない限り葬式をするかしないか決めるのは、生きている人間。
僕だって、親や友人が死んだなら葬儀に出席する。
その人を大切に思っているからこそ、意味のないただの儀式を丁重に行うんだ。
そして、生前に気付けなかったその人との幸せな時間に気付き、後悔する。
もっと一緒にいたかったと、強く悔やむんだ。
それこそが、本当の幸せ。
僕の信じている絶対的なことば
「幸せは失ってからわかる」
もっと愛したかった。
もっと愛されたかった。
そう思えることこそ、幸せを理解できる出発点。
・・・
ちょっと訂正。
僕が死んだときには、いま僕と友達だと思っている君たちに供養しにきてほしい。
喪服を着た君たちが並んでいる姿は、なかなか面白そうだ。