僕はかつて、俺だった。
そして俺はかつて、「ねじ」だった。
NejimakiBe。
由来は当時読んだ村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」。いたく感動して、拝借した。
Beは適当。
「ねじ」は何をしてたかというと、自宅から45分かけて学校に行き、楽しく勉強し、休み時間は長袖や半袖と冗談を言い合い、昼は部室長屋でパソコンをいじり、I本とどちらが早く教室を出るか競う形で下校し、博多駅に寄ってゲーマーズに寄って、コロッケを買って、家に帰ったらテレビを見て寝てた。
のんべんと3年間を過ごし、特にがんばることもなく卒業し、入試には落ちたため浪人した。
浪人時代は、予備校が高校に隣接していたためルーチンはまったく変わらず。
冬に半袖を着た友人達がいなかった。
しかし放課後、またもや部室長屋で一歳下の半袖の青年達(俺らの代より胡散臭く見える連中だったという記憶)の元へ行き、アニソンを流しながらAirトランプでナポレオンをする日々。
人数が揃わなければできないゲームを常にできていた、あの頃。
俺は名トラが好きだったけどさ。
ときどきは大学生たちも部室に訪れて、トランプをやっていた。
休日は、月2ほどのペースで、だいたい5人以上でカラオケ。
博多駅で待ち合わせをして、俺は割と早めに行ってコロッケを食べながら映画のパンフレットを見たり、ゲーマーズで油を売ったりしてみんなを待った。
いつもPOEが遅刻した。
集まったら自転車組とバス組にわかれ、親不孝通りのサウンドパークへ向かう。
だいたい1時に着き、5時間ほどフリータイムで歌う。
Sはサモナイとか歌う。
Gはガンダムを歌う。
らっとはロボットものを歌う。
前略萌えはyozucaを歌う。
POEはスクライドを歌う。
なんくんはアリプロを歌う。
そして俺は、坂本真綾を歌う。
終わったらメロンブックスに寄って、適当に眺める。
バスが来るまで待ち、博多駅に戻り解散する。
そんな「ねじ」の日々。

・・・

俺は京都の大学に行き、長期休暇の度に福岡に帰っていた。
残念ながら俺は京都で新しいコミュニティを作ることを失敗し、話すのもメッセンジャーで福岡の友人達と、ばかりだった。
それでも何とか楽しく過ごせていた。
福岡に帰れば、いつでもあの日の仲間達とたわいのないゲームをして遊べた。
しかし俺は自ら、決して望んだわけではないのだが、孤立していった。
めんどくさいから、ここではもう簡単に「ウツ」になったとしておく。
俺はウツになり、それでもカラオケや前略萌え一家の器のでかさを感じようと福岡に帰った。
しかしそれすらしなくなっていった。
そして、俺は「ねじ」ではなく、「早岐」という名前にシフトした。
これはつまり、ねじの俺しか知らない人に対し距離を置くという、無意識ではあるが逃避になった。

・・・

そこからは別に懐かしくとも何ともないので割愛するが、「早岐」になった俺には新しいコミュニティができた。
「ねじ」のころの俺を知らない、「早岐」と付き合う人たちができた。
そして、俺はなぜか僕になった。
鬱屈を抱えながらも、それなりに「早岐」として生きていけるようになってきた。
なにか、漠然とした違和感を感じながらも。

・・・


実はここに日記を書くのも物凄く久しぶりで、今書いても誰が読んでくれるのか検討もつかない。
S、G、らっと、萌え、なんくん、あたりは気が向いたら読んでくれるのだろうか。
物凄く久しぶりついでに、同級生達のHPも見てみた。
俺は彼らの顔が直ぐに思い出せた。
彼らがどんな顔で日記を書いているのか、おおよその形で想像できた。
彼らの声を思い出した。
彼らになぜか共通している、機嫌が悪いときにやたらと批判的に、皮肉っぽくなるところを思い出した。
俺は、彼らとともに福岡の最後の4年間を過ごしてきたんだった。
きっと、居心地が良かった。んだと思う。
何か大切なものがそこにはあったんだろう、と、理由はわからんが思った。


なにか、やり直さなければいけないという気持ちが浮かんできた。
具体的に何をどう、というのはまだよくわからない。
ただ、僕が「早岐」ではなく「ねじ」だった頃の思いや、苦しかった中にもやはり幸せだった高校時代、そんなものをノスタルジックに振り返る。
あの頃、ノリも悪く面白くもない、愛想笑いばかり浮かべていた僕を「若年性怠惰症候群」とからかってくれた彼ら。
メリットを度外視して付き合ってくれた彼ら。
彼らは、俺の大切な友人達だったんだ。
それを、「早岐」になったときから忘れていた気がする。
早岐は、利害関係を持ち出してあいつは付き合う意味がないとかあいつは嫌いだからいやだとか、とてもワガママな人間になっていた。
そういう問題じゃない人たちもいるんだった。

・・・

ねじは高校生だった。
けれど、それでも早岐はいまだにねじでありつづけている。
僕は、俺は、早岐は、ねじだ。
ねじは、しっかりとネットの海に刻まれていた。

早岐の名前の由来は、廃棄処分の廃棄の誤変換。
俺はまだ、廃棄物になってはいけないと思う。
たぶん、友達も俺がいなくなるよりはいたほうがいいと思ってくれていると思う。


あの頃の気持ちを、いまの人間関係の中に蘇らせたい。
そして、あの頃の彼らに会いたい。
俺と、彼らは、変わっただろうか。