なんか、かつてあんだけコミケに熱入れてたことが嘘みたいな今だ。
18きっぷ青葉台に行って、神奈命の寮に泊まって、こそこそボックスシャワーを浴びて、枕の取り合いをして。
事前準備だけでは足りず、夜が更けてもカタログチェックした。
田園都市線に乗り二子玉川大井町線に乗り換え、大井町からりんかい線に乗り換えて(だったかな?)、ビッグサイトに着けば5時間ほどひたすら会場を待ち並ぶ。
夏には猛暑もあれば、夏なのに雨が降って呆れるくらい寒い日もあった。
冬は、例外なく寒かった。雪も降った。

初めていったときにkeyブースで2時間並んだことを除けば、基本的にはできるだけ並ばないように本を買った。
立地は壁でもあまり人のいないところとか、スタッフさんの列の捌きが素晴らしいところとか。
あとは島で、創作系の絵の上手いところとか。
今思えば、マンガばっかりではなくもっといろんなジャンルのブースを回っておくべきだったと思う。
アホなほど知識を持った人の書いた偏った評論とか、きっと面白かっただろう。
しかもそういうジャンルはメロンには売ってないし、あそこでしか購入する機会はなかったんじゃないだろうか。
ネットで買えるのかな。

しかし、あのときは金持ってたもんだなぁ。
3日で700円くらいの本を2,30冊買ってたんだから。
とはいえ、CD数枚買えばその桁にはあっさり追いつくから別に使う対象が変わっただけなんだよな。

あのころはなんだかんだで友達と触れ合ってる時間があったよなぁ。
共通する趣味を持つ人たち。

どうも、音楽や洋服が好きなイケイケアゲアゲな人たちとは上手く接することができない。
わいわい飲む酒は苦手だ。



バイトの話。
人の仕事を引き継ぐのは非常にめんどくさい。
その人流にかかれたプログラムのかきかけを渡されて続きを書けといわれて、一人で最初からやるよりさらにしんどいようなものか。


アニカラしたい。

明日で、今期の試験が終わる。
授業を受け、教科書を読んで受けた試験の結果は如何か。
正直あんまり自信ない。
おそらくゼロということはない、と信じているけど…。
鈍りすぎた勘を取り戻すには、たった3ヶ月の授業というのは短かったかもしれない。
そんなことを言っても仕方がないのだけれど。

あさってからは、13〜21時のバイトがほぼ毎日はいっている。
がんばろう。
100円でメジャーを買って、それや他の道具を入れるためのウエストポーチ(シザーバッグというらしい)を買ってきた。
コ一時間死ぬほど悩んだが、茶色のデニム地の簡素な奴を選んだ。
普通のお出かけ用にも使えるので、これからは荷物の入りまくった重いトートを担いででかけなくてもよさそうだ。

・・・

今まで考えたこともなかったんだけど、なぜうちの大学には再試験がないのかふと思った。
「再試する必要がない」というのが一番の理由なのは間違いないけど、ついでにもうちょっと考えてみたら、再試制度を設けると、一度わざと試験に落ちて問題をゲットして、勉強する時間を稼いだ上で再試を受けよりよい点数をとる輩が出てくるだろうからそれを防ぐためってのもあるのかもなーとかおもった。
まー考えたところでないもんはないんだからどうしようもないよな。

・・・

筋トレがめんどくさくなる時期に入った。
日に日に腹回りが肥えていくのを見ると更にモチベーションが下がる。
それ以上に、ひたすら家に篭っていると生きるとか頑張るとかいう気概がヌルヌルと溶けていく。
用事がないと外出しない出不精が悪循環を生む。
多少強制される環境でないと腐ってしまう性質なんだなぁ。

今日は、来期の参考書を安く済ますためにブックオフに行ってみた。
あさってから忙しくなるし、今日しかない!とか思って。
参考書を数冊かって、さらに(実はこっちも凄く気になってた)CD売り場へ。
おお、ずっとほしかったSigur Rosの「()」がある!
2000円かぁ、でも滅多に見ないし買っちゃおうかなーとか思ってたら裏返してCCCDであることを知って棚に戻した。
気に入らん。。ていうか輸入版なら新品でもその値段で買えそうだし。
Moguwaiもあったけどこれも無駄に高い。
俺の好きな音楽を高値で売りつけようとする、そんな見る目のある店員は都会に左遷されてしまえ。
そういえば、HMV凛として時雨のアルバムが2000円で売ってたけど邦楽アルバムの値段下がったの?
だとしたら邦楽も購入できるかもしれない。
まだまだ邦楽にも素晴らしい音楽があることは存じているから、ありがたい。

…むしろ、早くパソコン買ってじゃんじゃんレンタルでパソコンに保存しまくったほうがいいんだよな。
パソコンほしいなぁ。
ハイスペックである必要はないから、安く手に入んないかな?
この際デスクトップでも自作でもなんでもいいや。
ストレスなくyoutube見れる環境がほしい。

テレビで徳永英明Bump of Chickenをみた。
徳永英明は本当にかっこいい。声も素晴らしすぎる。
あの歯並びの悪さや八重歯も魅力の一つだと思う。
バンプは、厨設定というか、少女漫画かCLAMPのマンガから抜け出してきたかのようなスタイル。
もはや妄想具現化のレベル。
いいなーカラオケ行きたくなった。

・・・

ちょっと太ってきた。
バイトが無い日が続くと運動量ががくんと減るし、一日中家にいると無駄に飯を食ってしまう。
試験が終わったらかなりバイト入れてるから、減量はそれをアテにしよう。
最近バイトの仕事にも慣れてきたから、もうちょっと難しい内容の仕事も教えてもらおう。
ストレスがないと引き締まらない。

なんか俺容姿の話ばっかりしてるな。
けどそもそも、誰にでも話題にできるものって何がある。
テレビ、ニュース、天気、健康、異性、金、買い物、
こんなもんだろ。
あとは各々の趣味で、
音楽、ファッション、ゲーム、鉄道、映画、学問、
とか
考えてみりゃ話題なんていくらでもあるんだな。
俺にはあまり縁がないが、今テレビでたまたまやってた将棋とかだって詳しい人なら話題の引き出しの一つだろうし。
そもそもテレビだって、家電という視点から見ればディーガとかなんとか、クーラーも冷蔵庫も腐るほど種類があって話のネタにしようと思えば、知識さえつければいくらでも広げられるんだよな。
視野狭えな俺。

なんだろう、俺は何を知っているべきなんだろう。
24歳にして自分探しの旅はまだまだ続くのか。
大人になりたいのか、子供のままでいたいのか。
頭が悪い。
イライラする。

久々に酒を飲んだら、吐いた。
指を突っ込まなくても自然にこみ上げてきたのにはある意味懐かしささえ感じた。
ほんと飲めねえなぁ。

・・・

いまさらな話かもしれないけれど、僕は昔から人間不信なところがあるのかもしれない。
友人ができない、と嘆いてはいるけれど、実際のところこれまでもいろんな人と出会う機会はあったし、いろんな人と一緒に授業を受けたり飲みに行ったりカラオケに行ったり、友達になれそうな人はたくさんいた。
僕はそれなりに話題の引き出しがあって、愛想も良くして、基本的に相手の話を聞き相手を楽しめることを考えるため、その場ではかなり盛り上がって話すことができる。経験上。
しかしどの機会も、その場限り。
一つの要因としては、人から直に言われることもある欠点。ネットの占いでも同じことをいわれた。
・笑ってるけど冷たそう
→自分の事を話さないから、腹のうちが見えてこなくて距離を感じる
・なんか全体的にわざとらしい
→自分の理想に近づくことを意識して、現実にいそうにないキャラを作っている感じ
とか。
あと、相手に喋らせることで会話を相手に任せているところがあり、おそらく僕が帰った後相手は相当疲れているのじゃないかと思う。

・・・

でも、別に嫌われているわけじゃないだろうしこちらがお願いすれば時々は付き合ってくれるだろう。カラオケでも、食事でも。
誰にだって「ココはいいけどココは苦手」というところはある。
だから、気にせずこちらから懇意にすれば相手も「まあいいか」と思ってくれるはず。
けれど、どちらかといえば「僕のほうが」相手を避けてしまう。
会う人会う人に対して、この人はやだなと激しく贅沢なことを思ってしまう。
どいつもこいつも嫌なやつに見えてきてしまう。
いい人だと感じる心がある一方で、また会いたいかといわれるとNOと答えてしまう。
まれ〜に僕のことを気に入ってくれる人もいるが、好かれると引いてしまう癖がある。これは昔から。
・・・
どうしたらいいんだろう。
楽になりたい。
最近、傘を持っていない日に限って夕立が通り過ぎ、びしょぬれになって帰ってくることが幾度かあった。
こんな季節でも、肌に張り付く濡れたシャツはとても冷たかった。

僕はかつて、俺だった。
そして俺はかつて、「ねじ」だった。
NejimakiBe。
由来は当時読んだ村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」。いたく感動して、拝借した。
Beは適当。
「ねじ」は何をしてたかというと、自宅から45分かけて学校に行き、楽しく勉強し、休み時間は長袖や半袖と冗談を言い合い、昼は部室長屋でパソコンをいじり、I本とどちらが早く教室を出るか競う形で下校し、博多駅に寄ってゲーマーズに寄って、コロッケを買って、家に帰ったらテレビを見て寝てた。
のんべんと3年間を過ごし、特にがんばることもなく卒業し、入試には落ちたため浪人した。
浪人時代は、予備校が高校に隣接していたためルーチンはまったく変わらず。
冬に半袖を着た友人達がいなかった。
しかし放課後、またもや部室長屋で一歳下の半袖の青年達(俺らの代より胡散臭く見える連中だったという記憶)の元へ行き、アニソンを流しながらAirトランプでナポレオンをする日々。
人数が揃わなければできないゲームを常にできていた、あの頃。
俺は名トラが好きだったけどさ。
ときどきは大学生たちも部室に訪れて、トランプをやっていた。
休日は、月2ほどのペースで、だいたい5人以上でカラオケ。
博多駅で待ち合わせをして、俺は割と早めに行ってコロッケを食べながら映画のパンフレットを見たり、ゲーマーズで油を売ったりしてみんなを待った。
いつもPOEが遅刻した。
集まったら自転車組とバス組にわかれ、親不孝通りのサウンドパークへ向かう。
だいたい1時に着き、5時間ほどフリータイムで歌う。
Sはサモナイとか歌う。
Gはガンダムを歌う。
らっとはロボットものを歌う。
前略萌えはyozucaを歌う。
POEはスクライドを歌う。
なんくんはアリプロを歌う。
そして俺は、坂本真綾を歌う。
終わったらメロンブックスに寄って、適当に眺める。
バスが来るまで待ち、博多駅に戻り解散する。
そんな「ねじ」の日々。

・・・

俺は京都の大学に行き、長期休暇の度に福岡に帰っていた。
残念ながら俺は京都で新しいコミュニティを作ることを失敗し、話すのもメッセンジャーで福岡の友人達と、ばかりだった。
それでも何とか楽しく過ごせていた。
福岡に帰れば、いつでもあの日の仲間達とたわいのないゲームをして遊べた。
しかし俺は自ら、決して望んだわけではないのだが、孤立していった。
めんどくさいから、ここではもう簡単に「ウツ」になったとしておく。
俺はウツになり、それでもカラオケや前略萌え一家の器のでかさを感じようと福岡に帰った。
しかしそれすらしなくなっていった。
そして、俺は「ねじ」ではなく、「早岐」という名前にシフトした。
これはつまり、ねじの俺しか知らない人に対し距離を置くという、無意識ではあるが逃避になった。

・・・

そこからは別に懐かしくとも何ともないので割愛するが、「早岐」になった俺には新しいコミュニティができた。
「ねじ」のころの俺を知らない、「早岐」と付き合う人たちができた。
そして、俺はなぜか僕になった。
鬱屈を抱えながらも、それなりに「早岐」として生きていけるようになってきた。
なにか、漠然とした違和感を感じながらも。

・・・


実はここに日記を書くのも物凄く久しぶりで、今書いても誰が読んでくれるのか検討もつかない。
S、G、らっと、萌え、なんくん、あたりは気が向いたら読んでくれるのだろうか。
物凄く久しぶりついでに、同級生達のHPも見てみた。
俺は彼らの顔が直ぐに思い出せた。
彼らがどんな顔で日記を書いているのか、おおよその形で想像できた。
彼らの声を思い出した。
彼らになぜか共通している、機嫌が悪いときにやたらと批判的に、皮肉っぽくなるところを思い出した。
俺は、彼らとともに福岡の最後の4年間を過ごしてきたんだった。
きっと、居心地が良かった。んだと思う。
何か大切なものがそこにはあったんだろう、と、理由はわからんが思った。


なにか、やり直さなければいけないという気持ちが浮かんできた。
具体的に何をどう、というのはまだよくわからない。
ただ、僕が「早岐」ではなく「ねじ」だった頃の思いや、苦しかった中にもやはり幸せだった高校時代、そんなものをノスタルジックに振り返る。
あの頃、ノリも悪く面白くもない、愛想笑いばかり浮かべていた僕を「若年性怠惰症候群」とからかってくれた彼ら。
メリットを度外視して付き合ってくれた彼ら。
彼らは、俺の大切な友人達だったんだ。
それを、「早岐」になったときから忘れていた気がする。
早岐は、利害関係を持ち出してあいつは付き合う意味がないとかあいつは嫌いだからいやだとか、とてもワガママな人間になっていた。
そういう問題じゃない人たちもいるんだった。

・・・

ねじは高校生だった。
けれど、それでも早岐はいまだにねじでありつづけている。
僕は、俺は、早岐は、ねじだ。
ねじは、しっかりとネットの海に刻まれていた。

早岐の名前の由来は、廃棄処分の廃棄の誤変換。
俺はまだ、廃棄物になってはいけないと思う。
たぶん、友達も俺がいなくなるよりはいたほうがいいと思ってくれていると思う。


あの頃の気持ちを、いまの人間関係の中に蘇らせたい。
そして、あの頃の彼らに会いたい。
俺と、彼らは、変わっただろうか。